戦争と健康
1000円
健康な状態であるとき、私たちは普段の生活で健康であるということをあまり意識しません。しかし、新型コロナウィルス感染症の感染者が確認されて以降、私たちは「健康」というものを強く意識するようになりました。感染予防のためのマスク着用や手指の消毒、室内の換気などが新たな日常として定着し、コンサートやスポーツ大会などの社会活動が制限されることになりました。
今からおよそ80年前の太平洋戦争においても社会活動が制限されました。戦争に関連しない活動は制限され、食料も物資も全てが戦争に優先的に割り当てられました。戦時下では多くの人が亡くなりましたが、直接的な攻撃によるものだけではなく、栄養失調や病気などで亡くなった人も多かったようです。
今回の展示では、当時の生活習慣や文化などを紹介しながら、人々がどのように「健康」を守ろうとしたのか、そもそも当時の社会にとって「健康」とは何だったのかということを探ります。現在の私たちにとっての「健康」と同じ意味を持つものなのか比較して考えるきっかけとなれば幸いです。(図録内 序文より抜粋)
戦争と学校 ー子供たちのたたかいー
900円
明治時代の初めに近代学校制度が始まって以来、「学校に行く」「学校で学ぶ」ということは、私たちの誰もが何らかの形で通る道であり、日常生活の一部でした。
ところが今からおよそ80年前の戦争末期、学校で学ぶことができなくなった時期がありました。
学校の授業や教科書の内容がそれまでとは大きく変わりました。空襲の激化とともに、都市部の学童たちはふるさとの親元を離れて郊外に疎開しました。中等学校では、出征者の増加によって極度に不足した労働力を補うため、授業が停止となって生徒たちは軍需工場や軍事施設、農場などで働きました。
今回の展示では、戦時下における学校の様子と、そこに生きた子供たちの姿を、「学童疎開」「学徒勤労動員」という二つの観点から紹介します。(図録内 序文より抜粋)
埼玉再建!
ー『埼玉メガホン』と復興の時代ー
900円
『埼玉メガホン』は、戦後間もない昭和23(1948)年に埼玉県が創刊した壁新聞(広報誌)で、後の『県民だより』の、そして現在の『彩の国だより』の前身にあたります。
占領下の日本ではGHQが主導する民主化政策の一環として、官公庁による広報が重要視されており、紙媒体のほか、ラジオや映画、街頭広告、広報車など、当時のあらゆるメディアを駆使した広報活動が展開されました。敗戦によって日本は政治や社会の枠組み、秩序などを根底から変えることを余儀なくされますが、広報は新しい時代の到来を高らかに宣言し、その牽引役となっていきます。
今回の展示は、『埼玉メガホン』を中心に、埼玉県をはじめ、戦後の日本が直面していた様々な困難と課題、そして焦土からの「埼玉再建」に挑んだ人々の軌跡を、当時の時代背景とともに紹介しようとするものです。(図録内 序文より抜粋)
渋沢栄一と平和 700円
渋沢栄一は、「近代日本経済の父」と呼ばれるように数々の会社を設立し、経済活動に携わった一方で、教育や福祉、国際親善、民間外交に積極的に取り組みました。中でも日米関係が極度に緊張していた昭和2(1927)年には、アメリカのギューリック博士が計画した親善人形計画に賛同し、日本国際児童親善会の会長となりました。アメリカの子どもたちから、全国の小学校・幼稚園に約1万3千体の親善大使「青い目の人形」が贈られました。(中略)栄一は、第一次世界大戦終結記念日である昭和6(1931)年11月11日「平和の日」に永眠しましたが、同年9月には満州事変が勃発し、その後、国際連盟脱退、日中戦争、太平洋戦争と悲惨な戦争の時代に突入します。全国各地で星条旗とともに大歓迎された青い目の人形は、わずか十数年で敵扱いされる時代となっていきます。
今回のテーマ展では、昭和初期の日米の人形交流を中心に、その後の戦争の時代もあわせてご紹介いたします。(序文より抜粋)
描かれた戦争ー絵に託した思いー
700円
今回の展示では、兵士とともに戦場に赴いた従軍画家が描いた戦争画、兵士が厳しい環境の中で書き、故郷に送ったはがきや戦場で付けた日記と挿絵などから、戦場の緊迫した状況を知ることができます。また、戦意高揚と軍の宣伝のために描かれたポスター・雑誌、子供たちが疎開生活や日常の中で描いたクレヨン画、教科書の挿絵・絵本・紙芝居などから戦時下の社会での人々の苦労を垣間見ることができます。(図録内 序文より抜粋)
童謡 その心~子どもたちの謡い~
700円
現在でも人々の間で広く親しまれている童謡は、大正時代に興った童謡運動(児童文化運動)の中で生まれてきました。その中心となったのは、『赤い鳥』『金の船(金の星)』などといった児童雑誌です。(中略)
昭和期になり不況と共に戦時色が強まると、多くの雑誌が休刊となり、戦意高揚に関わる歌に変わりますが、終戦後は、戦時色を廃した歌に作り替えられ、また新たな童謡も創作され、現在でも人々に愛されています。
本展では、童謡が誕生した経緯、戦局の転換に伴い変化していった童謡を通じて、戦争の悲惨さと平和の尊さを感じていただくものです。
また、埼玉県に関わる童謡や童謡作家・作曲家などを紹介することで、童謡が社会の中で果たしてきた意義や郷土埼玉との関わりについて考える機会をもっていただこうとするものです。(図録内 序文より抜粋)
かるたの中の戦争
ー愛国いろはかるたが語る世相ー
700円
愛国いろはかるたは、1943年(昭和18)、小学生に愛国心を養わせるため、社団法人日本少国民文化協会が、情報局・大政翼賛会・文部省の後援を受けて句を公募・選定し、財団法人日本玩具統制協会が印刷・発行しました。
「いろは」47句による読み札と絵札からなり、箱入り漢字表記の製品と箱入り片仮名表記の製品、一枚紙を切り離して使う片仮名表記の製品の3つが売り出されました。
1943年は、日本軍の攻勢から連合国軍の反転攻勢へと、太平洋戦争の戦局が転換した時期に当たります。国内では国民統制策が一層強化されていきました。愛国いろはかるたの句を当時の生活物資とあわせて読むことで、戦時下の生活の状況を振り返り、戦争の教訓と平和な社会の大切さを改めて考えます。(序文より抜粋)
戦時下の子どもたち 700円
昭和初期、日本は戦時体制に入りました。(中略)第二次世界大戦が始まると、食料を始めとするあらゆる物資が欠乏するようになり、生活は激変しました。さらにアメリカ軍による空襲で、多くの人々が死の恐怖と隣り合わせの毎日を送ることになったのです。
その頃、誕生した子供たちは、学齢期を戦争のさなかに過ごすこととなりました。「欲しがりません 勝つまでは」という言葉は、当時の子供たちが息苦しい生活に追い込まれた状況を象徴するものです。
このテーマ展では、残された当時の資料から、幼い子供たちの生活の中にまで戦争が忍び寄り、心の中にしみこんでいく恐ろしさを紹介します。本展が平和の尊さを見つめ直す機会となれば幸いです。(序文より抜粋)
祈り ー受け継ぐ思いー
800円
戦時中、肉親を戦地に送り出す人々は、あらゆる方法で出征兵士の武運長久を祈りました。個人の悲しみやありのままの心情を率直に表現することが憚られた時代、お国のために戦死することを潔しと言いつつも、心の奥底では無事に家族の元に帰って来ることを願い、祈り続けていたのです。
今回の展示では、無事の帰還を祈った千人針やお守り、戦時下の日常を写した写真、戦後造立された平和祈念像などを通し、人々が祈りに込めた思いについて探ります。(図録内 序文より抜粋)
戦争を伝える
ー写した戦争・描いた戦争ー
900円
今回のテーマ展は、昭和20年の夏を舞台に、国民学校に通うある架空の少女の視点を通して、子どもたちにとっての戦争の実像を描こうと試みています。
今から67年前の夏、日本は絶望的な戦争の中にありました。戦争は戦場だけで行われたのではありません。銃後を守り、支援を続ける多くの人々の存在が必要でした。国家総動員体制のもと、子どもたちも銃後の国民の一員として、様々な形で戦争を支えていました。戦争の末期になると戦火の中で、そして戦後もしばらくの間は、飢餓で命を落とす子どもも多くいました。
長い戦争の中にあって。当時の子どもたちは生まれた時から戦争状態が普通の生活であり、「戦争しか知らない子どもたち」だったのです。戦争という過酷な現実は、子どもたちの瞳にどのように映っていたのでしょうか。そしてそれをどのように受け止め、生き延びてきたのでしょうか。戦争の時代を生きた子どもたちの姿を通じて、実際に戦争を体験された世代の方たち、戦争を知らない大人たち、そして子どもたちが、戦争と平和について改めて考える場となることを願ってやみません。(図録内 序文より抜粋)
復興 ー何度でも立ち上がってー
1050円
我が国では有史以来、幾度も噴火や地震、津波、水害などの大きな自然災害に見舞われてきました。(中略)
科学的な記録が残されている近代以降の災害で、埼玉にも大きな被害をもたらしたものでは、明治43年の水害、関東大震災、カスリン台風などがあります。いずれも被害は広範囲に及び、多くの人々が被災しています。戦時下においては、空襲により日本の主要都市の多くが焼け野原となりました。埼玉でも県南部の都市部や軍需工場などが集中的に攻撃を受けたほか、終戦前夜の熊谷空襲では市街地のほとんどが灰燼に帰しています。
壊滅的な打撃を受け、多くのものを失いながらも、私たちは廃墟から、絶望から、いつも立ち上がってきました。今回のテーマ展では、戦災からの復興を中心に、過去の自然災害やそれからの復興などを併せて取り上げ、何度でも力強く立ち上がってきた人々の姿を紹介します。(図録内 序文より抜粋)
青い目の人形双六 200円
昭和2(1927)年に、日本へやって来た日米親善大使「青い目の人形」と、その返礼としてアメリカに贈られた「答礼人形」を配した双六。埼玉ゆかりの人形を紹介しています。
平成21年11月18日発行
山碧くうるわし唱歌の世界(DVD)
900円
展示解説と、地元東松山市のコーラスグループ(せせらぎハーモニー・東松山少年少女合唱隊)による「早春賦」・「春の川」・「故郷」など全23曲の唱歌の演奏・合唱を収録したDVD。
平成17年10月15日発行
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埼玉県平和資料館
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E-mail:saitamapeace.npo@gmail.com